あの選択に後悔はない
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術後、日を追うごとに、越川選手の膝の可動域は広がっていった。それに伴い、リハビリとトレーニングの負荷はかなりのものになってきていた。体重の増減もほとんどなく、順調に回復への道のりを歩んでいるのは間違いない。だが、他人から見ると疑問は残る。中国戦での負傷後やベネズエラ戦でプレーをしなければ、もう少しいい状態で済んだのではないか、と。
「ベネズエラ戦での出場という判断に後悔はありません。特に個人としては、絶対に後悔したくなかったから、出られたのはありがたかった。ただし、今にして思えばチームとしては微妙だったのかもしれません。僕よりも他の選手を使ったほうがチームとしてのパフォーマンスは上がっていたのかもしれないという思いはなくもないですね……」
だが、チームマネジメントは監督の仕事である。選手が出たいというのは当たり前の話で、どの選手をどう使えば、チーム力が最大になるか。それを考えるのは選手の仕事ではない。
「一選手としては、学びの多い大会でした。前回のアテネ五輪で8年ぶり出場となった女子バレーの選手たちはほとんどが五輪初出場で『オリンピックにしかない雰囲気があった』と言っていたんです。僕は出たことがないから、それがどんなものなのかわからなかったけど、今回その雰囲気を体感することができた。結果は全敗でしたが、収穫はあった。4年後に必ずこの経験をいかします」
「ベネズエラ戦での出場という判断に後悔はありません。特に個人としては、絶対に後悔したくなかったから、出られたのはありがたかった。ただし、今にして思えばチームとしては微妙だったのかもしれません。僕よりも他の選手を使ったほうがチームとしてのパフォーマンスは上がっていたのかもしれないという思いはなくもないですね……」
だが、チームマネジメントは監督の仕事である。選手が出たいというのは当たり前の話で、どの選手をどう使えば、チーム力が最大になるか。それを考えるのは選手の仕事ではない。
「一選手としては、学びの多い大会でした。前回のアテネ五輪で8年ぶり出場となった女子バレーの選手たちはほとんどが五輪初出場で『オリンピックにしかない雰囲気があった』と言っていたんです。僕は出たことがないから、それがどんなものなのかわからなかったけど、今回その雰囲気を体感することができた。結果は全敗でしたが、収穫はあった。4年後に必ずこの経験をいかします」
1984年生まれ。2003年Vリーグのサントリーサンバーズに入団。2004年Vリーグ新人賞を獲得し、バレーボール全日本代表にも選出。06/07シーズンにはVリーグMVPも獲得。2008年の北京五輪では負傷リタイアとなったが、手術も無事成功。エースの戦列復帰が待たれる
公式HP
- 北京五輪の苦い記憶
- 東京での"足"となったAudi
- 東京HDDナビゲーター
- その瞬間、何が起きたのか
- コートに立てずともできることはある
- 屈辱の全敗
- 監督からの一通のメール
- あの選択に後悔はない
- MVP、獲りに行きます