東京HDDナビゲーター
10/06
大阪に住んでいる越川選手にとって、東京の道は不案内。そこで助けになったのが、Audiに搭載されているHDDナビゲーションシステムだった。
「ナビは本当に使いやすかったですね。最初は道がわからなくて、行く先行く先全部ナビ頼みでしたが、ナビに従って走っているうちに、最後のほうは、都内の道もなんとなくわかってきましたね」
東京に滞在する間、親交のあるスポーツ選手が出場する大会があれば、観戦にも行った。北京五輪の会場でも、男子バレーの敗退が決定した後、他競技の日本チームを観戦・応援する越川選手の姿がテレビに映し出されていた。
「普段はなかなかそこまで他競技を見る機会はありませんし、せっかくの機会だから普段なかなか見る機会のない競技も見ておこうという考えもありましたね。それに加えて、オリンピックのときには同じ日本人として闘っている選手やチームのサポート役に回ろうという意識もありました」
自らが負傷をすれば裏方としてチームを支え、自らの競技が終われば観客席から他競技に出場する日本人選手の応援に力を入れる。その姿は、中継のテレビにも映し出されていた。支え、支えられる関係のなかに生きていることを越川選手は知っている。
「ナビは本当に使いやすかったですね。最初は道がわからなくて、行く先行く先全部ナビ頼みでしたが、ナビに従って走っているうちに、最後のほうは、都内の道もなんとなくわかってきましたね」
東京に滞在する間、親交のあるスポーツ選手が出場する大会があれば、観戦にも行った。北京五輪の会場でも、男子バレーの敗退が決定した後、他競技の日本チームを観戦・応援する越川選手の姿がテレビに映し出されていた。
「普段はなかなかそこまで他競技を見る機会はありませんし、せっかくの機会だから普段なかなか見る機会のない競技も見ておこうという考えもありましたね。それに加えて、オリンピックのときには同じ日本人として闘っている選手やチームのサポート役に回ろうという意識もありました」
自らが負傷をすれば裏方としてチームを支え、自らの競技が終われば観客席から他競技に出場する日本人選手の応援に力を入れる。その姿は、中継のテレビにも映し出されていた。支え、支えられる関係のなかに生きていることを越川選手は知っている。
1984年生まれ。2003年Vリーグのサントリーサンバーズに入団。2004年Vリーグ新人賞を獲得し、バレーボール全日本代表にも選出。06/07シーズンにはVリーグMVPも獲得。2008年の北京五輪では負傷リタイアとなったが、手術も無事成功。エースの戦列復帰が待たれる
公式HP
- 北京五輪の苦い記憶
- 東京での"足"となったAudi
- 東京HDDナビゲーター
- その瞬間、何が起きたのか
- コートに立てずともできることはある
- 屈辱の全敗
- 監督からの一通のメール
- あの選択に後悔はない
- MVP、獲りに行きます