その瞬間、何が起きたのか
10/08
北京五輪という夢舞台で何が起きたのか。その瞬間を越川選手はこう振り返る。
「中国戦の1セット目の前半、僕が相手のスパイクをレシーブして、つなぎに入ったメンバーをよけようとして飛んだときに、バランスを崩し、着地でひねったんです。正確には『どの瞬間』というのはわからないんですが、その一連のプレーのどこかですね。ただ、そのプレーが切れたとき『あ、やっちゃったな……』という違和感はすでにあったんです。ねんざ程度の軽い故障とは痛みの種類が違う感じがありましたね」
実際、試合の映像でも直後に足を気にするような素振りが確認できる。これまで手術をするほど大きなケガとは縁のなかった越川選手だが、中国戦は最後までプレーし通した。ただし、その代償は大きかった。試合後パンパンに膝が腫れ上がり、まともに歩くこともできなかったという。だが、次戦のベネズエラ戦に、越川選手は出場する。一体何がそうさせたのだろう。
「翌日は練習なしで、その次の日がベネズエラ戦。ベネズエラと最終戦のアメリカに勝てば、わずかながら決勝トーナメントに進める可能性があったので、ベネズエラ戦の午前まで判断を待ってもらったんです。当日、トレーナーとドクターには止められましたが、この4年間はオリンピックのために競技をやってきたような面もある。正直『これでバレーができなくなっても構わない』、『歩けなくなってもいい』という覚悟でドクター、トレーナー、監督に直訴したんです。もちろん、最終的な判断は監督にゆだねることになりますが、もし自分が出ることでチームの役に立つなら使ってくれとお願いしたんです」
ベネズエラ戦のコートには越川選手の姿があった。
「中国戦の1セット目の前半、僕が相手のスパイクをレシーブして、つなぎに入ったメンバーをよけようとして飛んだときに、バランスを崩し、着地でひねったんです。正確には『どの瞬間』というのはわからないんですが、その一連のプレーのどこかですね。ただ、そのプレーが切れたとき『あ、やっちゃったな……』という違和感はすでにあったんです。ねんざ程度の軽い故障とは痛みの種類が違う感じがありましたね」
実際、試合の映像でも直後に足を気にするような素振りが確認できる。これまで手術をするほど大きなケガとは縁のなかった越川選手だが、中国戦は最後までプレーし通した。ただし、その代償は大きかった。試合後パンパンに膝が腫れ上がり、まともに歩くこともできなかったという。だが、次戦のベネズエラ戦に、越川選手は出場する。一体何がそうさせたのだろう。
「翌日は練習なしで、その次の日がベネズエラ戦。ベネズエラと最終戦のアメリカに勝てば、わずかながら決勝トーナメントに進める可能性があったので、ベネズエラ戦の午前まで判断を待ってもらったんです。当日、トレーナーとドクターには止められましたが、この4年間はオリンピックのために競技をやってきたような面もある。正直『これでバレーができなくなっても構わない』、『歩けなくなってもいい』という覚悟でドクター、トレーナー、監督に直訴したんです。もちろん、最終的な判断は監督にゆだねることになりますが、もし自分が出ることでチームの役に立つなら使ってくれとお願いしたんです」
ベネズエラ戦のコートには越川選手の姿があった。
1984年生まれ。2003年Vリーグのサントリーサンバーズに入団。2004年Vリーグ新人賞を獲得し、バレーボール全日本代表にも選出。06/07シーズンにはVリーグMVPも獲得。2008年の北京五輪では負傷リタイアとなったが、手術も無事成功。エースの戦列復帰が待たれる
公式HP
- 北京五輪の苦い記憶
- 東京での"足"となったAudi
- 東京HDDナビゲーター
- その瞬間、何が起きたのか
- コートに立てずともできることはある
- 屈辱の全敗
- 監督からの一通のメール
- あの選択に後悔はない
- MVP、獲りに行きます